伊瑳谷門取
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生年月日 : 1948年
出身地 : 広島県
主な作品名 : 「獅子王の舞」、「漢(をとこ)舞うとき」、「龍王-水への祈り-」、「朱雀(すざく)は舞う」 、「人間だけだもの」、「古式三番叟」 ほか
外に飛び出した伝統芸能〜舞人 伊瑳谷門取〜
伊瑳谷門取(いさやもんどり)は日本舞踊家としての将来を嘱望されな がら、流派を飛び出し、
独自の舞踊スタイルを追求、現在、創作舞踊家また振付・演出家として 活動を続けています。

また流派を脱退した伊瑳谷は、自分の舞のよりどころを自然に求めるようになっていきます。
洞窟や森、海辺、滝など「舞踊行脚」と名付けら れた 修行の旅は、彼に新たな舞の境地を開かせるきっかけになります。
日本の伝統芸能を愛し、探究するうち、結局、外に飛び出してしまった 伊瑳谷門取。
彼は今ようやく、能でもない、歌舞伎でもない、古代にさかのぼる日本 の芸能を混合させ一つにした、
独自の舞踊メソッドを確立しました。彼の舞は多くの 要素含んでいながら、まさしく日本の舞であると考えます。
尚、彼の好む舞人(まいびと)という肩書は、律令制度の頃の呼称(当時はぶじんと発音)に因っています。
伊瑳谷門取修行の場イメージ
経歴
継承から創造へ。独自の舞踊スタイルを目指す彼の旅は、果てしなく続く。
1966年 日本舞踊アカデミー入団。
1970年 大阪で開催された日本万国博覧会クラシックオープニン グセレモニー(大阪フェスティバルホール)に出演。
また、テレビで能登「御陣乗太鼓」を観て、その生命のダイナミズムに圧倒される。その後独学で和太鼓の研究にも勤しむ。
1980年 この頃より振付・演出家としての仕事を手がけ、同時に 古代舞踊の歴史研究をはじめる。
この時代、自身の舞踊観と日本舞踊界の見識とのズレを感じ、試行 錯誤と焦操の日々をおくる.
1985年 結婚を機に19年の内弟子生活にピリオドを打ち、 独立。
以降、本格的に創作舞踊活動に取組み、民音芸術賞、関西芸術撰貰、グリーンリボン賞などを受賞。
世界を舞台に、ファッションショー、演劇、コンサート、レビューなどの演出・振付も手がけ、伝統やジャンルを越えた活動を展開する。
1987年 日本の舞踊のルーツを探るうち、楽器の原点である太鼓 と舞踊のドッキングを考案。
自身の手で和太鼓集団『天鼓』(現・打打打団天鼓)結成。
1990年 新たな修行の旅「舞踊行脚」を開始。
大自然の中に身を 置き、舞踊の何たるかを問う彼の姿には、厳しい修業を積む雲水のイメージを重ねる人も少なくない。
1993年 伊瑳谷門取と改名。命名は言霊(ことだま)研究家の染谷勝彦氏。
由来は、言語が発達する前、舞踊的な動きがメッセージとして重要であった時代の音(おん)から、
まず「イサヤモンドリ」の響きが選ばれ、漢字はのちにあてはめられた。
1996年 日本の伝統芸能を生かしながらその独自の手法で、能でもない、歌舞伎でもない新しい日本の舞踊メソッドを確立。
カタを生かしてカタにはまらぬ自在な舞人(まいびと)との評価を得る。
和太鼓チーム 打打打団 天鼓との共演は、国内、そして海外においても20カ国を超える。
伊瑳谷門取より皆様に一筆
カキテアノ 大晦日
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「カキテアノ」 「大晦日」
マオリ族の言葉で「また会う日まで」
ニュージーランド公演で出会ったマオリ族の長老の葬儀に際して
カキテアノ
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「雨ふらば」 「夢がおどる」
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